obsolete 文章全体にこじつけ感が有るので、そのうちに書き直さうと思ひます。御要望を頂いたので暫定的に再公開しますが、古い内容のままで、アドレスも仮のものであることを御諒承下さい。
制作: 2003年6月6日〜2003年6月12日〜2011年1月15日 空拇「現代かなづかい」よりも、良いからです。
例へば、「きづな」(絆)は「き」(生)+「つな」(綱)から来てゐると云ひます。ならば、「きずな」より「きづな」の方が自然です。
「地点」は「チテン」とも「ジテン」とも読まれますが、後者は明かに前者の濁つたものです。ですから、仮名遣ひでも「ちてん」「ぢてん」とする方が自然ですし、覚えやすいでせう。
「ありがたい」の連用形「ありがたく」がウ音便化して、「ありがたう」。これで「アリガトウ」と読みます。語幹「ありがた」は変らず、「ありがたい」により近いので、見たときの意味がはつきりします。
「王」は中国語では「ワング」(wang)。昔の日本人は「ng」音に「う」を当てたので、歴史的仮名遣ひでは「わう」と書き、このままで「オウ」と読みます。「おう」より「わう」の方が「wang」に近く、お互ひの音を覚えやすいと思ひませんか?
更なる例外はありますが、これだけです。これは英語でも、「audio」が「オーディオ」、「europe」が「ヨーロッパ」になると云ふ、似た様な傾向ですから、覚えやすいでせう。
文語「いざ行かん」と口語「さあ行かう」はどちらも同じ意味で、共通の未然形「行か」が勧誘を表してゐます。後者は「行かう」で「ユコウ」と読めるのですから、わざわざ「五段活用」で「行こ」なんて作らずとも、「行か」一本にした方が、覚える量も少くて済みます。
「たゆたふ」(揺蕩)は「タユタウ」とも「タユトウ」とも読みます。「現代かなづかい」は原則一字一音なので、「たゆたう」と書けば「タユタウ」、「たゆとう」と書けば「タユトウ」としか読めません。同じ語なのに仮名遣ひが違ふなんて不自然です。歴史的仮名遣ひでは、「たゆたふ」と書いただけでどちらにも読めます。仮名遣ひと言葉が一対一対応すると云ふごく自然な結果になります。(どつちか片方に読んで欲しかつたら、読み仮名を振れば良いでせう。)
日本語を表現するのにより自然な仮名遣ひである、ただそれだけです。
次の言葉は、私が仮名遣ひを見直すきつかけの一つになつた、「現代かなづかい」に反対して書かれた本の一部です。
かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られて來た正統表記が、戰後倉皇の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる余裕のない隙に乘じて、慌しく覆されてしまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も變はらず傳統だの文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化であらう。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか。
「私の國語教室」 福田恆存著、文藝春秋発行
歴史的仮名遣ひは案外良いものです。この文書で仮名遣ひに興味を持ち、それを今一度見直す方が一人でも居られれば、と思ひます。