水月の解法


これから論述する内容はF&C「水月」をオールクリアしたことを前提として展開する。
以下の内容を理解するためには相応の内容に関する知識を要求するので注意。

・前提

 「水月」を考察する上で、まずいくつかの前提的な概念について説明する。

 例えば、完全な暗闇があるとする。
 そしてそこにAいう人間とBという人間がいるとする。
 さて、AはBがそこにいることを確かめるために、どうすれば良いか?

 答えは「呼ぶ」。
 AがBの名を呼び、Bの存在を確かめるのだ。
 Bが返事を返し、初めてBはそこに存在することが確定される。

 翻って、これを全ての存在に置き換える。
 AがBを呼び、BがAに返事を返す。またはその逆。
 それによってAにとってのB、BにとってのAの存在が確定するように、この世界にある全ての物体は周囲を認識し、周囲に認識されるために存在の主張をしている。
 この情報のやりとりが成立することで、あらゆるものは「そこにある」と確定するのだ。
 SS、PS版ゲームソフト「デバイスレイン」の理論に則って、この存在情報交換のことを便宜上「イデア情報の交換」と呼ぶ。
 余裕があれば同ソフトについて検索などで情報参照のこと。

 さて、人間を構成するイデア情報。
 その人はどういった存在か?
 名前、性別、人種、精神、能力等、その全てはその人固有の情報である。
 その固有の情報を周囲に主張し、周囲が受け入れることで人間が存在する。
 だが、それを全ての情報を損失してしまった場合、人間はどうなるのだろう?
 その一例が瀬能透矢。水月の主人公である。
 瀬能透矢は自らについての情報、自らがいるはずの世界の情報をほとんど持っていない。
 だから周囲から押し付けられる彼のイデア情報を受け入れ、周囲の世界のイデア情報を認識して、自らを再構築している。が、それは実に曖昧なものであることを自覚している。
 ここに瀬能透矢が主人公であり、水月の一連の事件が彼の一存で発生、不発する原因がある。
 これについては後述。

・涙石

 涙石という存在。
 この物語を構成する上で最重要の設定。
 この涙石には、イデア情報を蓄積、変質させる力がある。
 具体的に言うと、「願いをイデア情報にして周囲に発信する力」が存在する。
 そのイデア情報を受け取った世界は、涙石の通したその「願い」を現実として受け取る。
 そして返信する。願いを発した本人は「本気で願っている」のならば、その新しい現実の情報に対してエラーを起こさない。
 結果、「願いを叶える」のだ。「デバイスレイン」におけるオーパスと考えてほぼ間違いない。

・ナナミ

 ナナミ様。物語の発端にして涙石により存在するイデア情報。
 既に死して久しい彼女の存在は「イデア情報」として存在するのみであり、実体を持たない。だが彼女はひとつの願望を持ってそこにいる。
 名波と呼ばれた彼女の夫、弓の名手にして集落の長であった青年に巡り会うこと。
 その想いによる自己主張、そして町民による「ナナミ様信仰」というイデア交換が成立するために、彼女は未だ那波町に「存在している」のだ。
 ただし、彼女は普段は封印されている。
 ロジックによって構築されるその封印は二重にかけられて、彼女の存在を否定し続けている。だから彼女は長時間、確たる存在として世界に現出できない。

・ナナミと那波

 「水月」において最大のキー。
 彼女等は同一の存在でありながら、全く別の存在でもある。
 「ナナミ」は「那波」とは厳密には全くの別人である。生まれ変わりや平行存在といったものでは決してない。
 何故なら、ナナミは「ナナミ様」として厳然と未だ那波町に存在しつづけているのだから。
 しかし、ナナミと那波は異邦人・容姿・種族的特徴・名前などといったものによって、存在意義的にとても近いものであることは確かだ。
 それゆえに、ナナミの存在情報に那波はアクセスできる。
 ちょうど、透矢の記憶に関しての記述で「その記憶が本当に自分のものなのか、それとも自分にそんな記憶があると思いこんでいるのかわからない」といったくだりがあるが、那波はナナミと存在が重なるが故に、自分のものではない記憶を保持できてしまうのだ。
 これは涙石というパワーストーンの存在する那波町であるからこそ発生した現象である。

・名波と透矢

 ナナミと那波の存在が重なることで、ナナミの持つ認識情報は他にも影響を及ぼす。
 ナナミがいれば、その夫・名波の存在さえも必要とされるのだ。
 若くして人望を集める弓の名手、そしてナナミとほぼ同年齢。その透矢の存在情報は、ナナミの情報が記憶している名波のイデアと酷似する。
 そこに、透矢本人の記憶する存在情報がぽっかり欠ける「記憶喪失」という事件が起きる。
 透矢はその時点において確実な「瀬能透矢」ではなくなるのだ。
 ナナミが名波(透矢)に送り、要求するイデアの交換を邪魔するものは、その時点においてひどく少なくなる。
 ならば、透矢は名波の役を演じなくてはならない。
 だが、演じてはならないのだ。透矢は透矢であらねばならない。
 透矢は本来は名波が実行しなかった「ナナミを射殺する」という行為を情報上で実行することで、自らの存在を保つ。また、己と名波のイデアの大きな共通要素ひとつである「弓の名手である」という情報を無意識のうちに拒絶することで、名波との同化を防いでいる。

・山ノ民

 那波町にかつて存在した情報。
 先住異民族、優等種として存在した、強大な力を持つもの。
 だが、それは日本において存在してはならない情報だ。それに対する、論理封印が那波町に存在する。

・文字と意味のすり替えによる論理封印──宮代神社・大和神社

 宮代神社は、ゲーム中において「御社」であることが判明する。
 が、その意味については深く言及されない。
 ここに深く切り込むと、花梨が舞に失敗した理由と牧野健司の言葉の意味が掴めるようになる。

 まず、御社>宮代の論理封印。
 御社とは本来、宮代神社の奥に存在する洞窟、そしてそこで死んだナナミを鎮護する役割を持つ。
 つまりはナナミの存在を前提とした名前だ。
 それを宮代という漢字に置き換えることによって、同じ言葉でありながら意味が変わる。意味が上書きされてしまうわけである。
 通常であればただの改名も、この涙石の町・那波町においては存在の意味を変質させることになる。
 宮代、つまり「宮」の「代わり」。この「宮」という言葉をどう取るかによって説は二つに分かれるが、大差はない。
 すなわち神社の意の「宮」か、妻または高貴な人という意味での「宮」。どちらにしてもナナミ、もしくはナナミを鎮護する御社の代わりだ。
 この時点で神社に参拝する者はナナミに対して間接的アクセスしかできなくなる。ナナミ様の「代わり」が信仰対象として置かれてしまう。
 これが、まずナナミを封ずる一つ目の封印である。

 そして、大和神社の論理封印。
 大和神社が設立されたのは、ちょうど大日本帝国の時代。皇室を神格化するのに躍起になっていた時代だ。
 そこに大和神社設立の直接的原因は語られないが、アリス・マリアのシナリオと雪のシナリオを解くことによって、「戦時中に何らかの集団が防空壕で虐殺されている」という事実が明らかになる。
 これを繋げて考え、また御社>宮代のロジックを理解することによって、設立理由とともにもうひとつの論理封印が見えてくる。
 「大和」。この言葉が意味するのは朝廷ないし天皇の起源。ひいては日本民族を「大和」という言葉で象徴することすらあるように、「山ノ民」に対する「平地ノ民」としての象徴である。無論その名前には読み替え、意味を上書きされるべき対象があったと見るのが妥当だろう。
 考えられる名は、今思いつく限りで三つ。「矢的」「山人」「山屠」といったところである。
 矢の的とは、ナナミのこと。ただこの説は「名波によるナナミの射殺」が実際上の出来事でなかったという解釈をする場合、適切ではない。
 ならば山人はどうか。
 思うに、この説が一番有力である。「山ノ民」そのものの存在を「平地ノ民」で上書きするのだ。
 那波町においてはそれは「山ノ民」の存在的黙殺ということになる。
 最後の「山屠」は、「戦時の混乱を利用して山ノ民を殺戮した」という事実を神社の名で上書きし、隠すというものだが、あまりにもあざとすぎるような気がするので、ここでは提示するのみにしておく。

 この二つの論理封印によって、ナナミは開始時、封じられている。
 「既に代わりが存在する」こと、そして「山ノ民としての存在が黙殺されている」こと。
 この副次効果として、雪シナリオのラストが存在する。

・マヨイガ

 別世界。夢の世界。願望の作り出した世界。
 ある意味どれも間違ってはいないが、この世界に存在否定された者が弾き出される先ともいえる。
 その中心は、ナナミ。そしてナナミがその存在を固定するためのアンカーである、御社洞窟の先にある巨大な涙石である。
 現実には存在しない空間であるために、その巨大な石による存在を操れるのは、現実に対する適性の低い=非現実存在に近いもの、つまり現実から否定され、拠り所を現実以外に求める者に限られる。
 そういった人間は(現実から見ると)間違ったイデア情報と交換しあえる素養が高いため、マヨイガ空間の存在とそこで起きる出来事を肯定しやすいからだ。


・那波シナリオのラスト

 那波シナリオにおいての最大の疑問点となり得るのは最後の最後。
 那波が普通の娘に変じ、透矢と普通の生活をして、それまでのことを夢と語るシーンだ。
 ここにおいて「夢オチ?」と多くのプレイヤーは思ってしまう。事実そう思わせる演出は充分にされているのだが、ここまでに作り上げた理論を適用すると、別の解釈が可能になる。
 「それまでの那波と、エンディングにおける那波は完全に同一の存在」なのだ。
 つまり「涙石と那波・透矢という確定情報を持たない人間同士の共鳴による、イデア情報の強烈な発信(願いによる情報変質)と、それによる現実破壊」なのである。
 那波はまた透矢と出会い、愛し合えることを願った。透矢は那波と生きていけることを願った。
 その結果、彼等が望んだように世界そのものが書き換えられたのだ。
 死に瀕した那波の情報は、透矢と生きていけるものに変化した。たったそれだけだ。
 ちなみに透矢と那波を比べると那波の方に強い変化が起きていることは一目瞭然だが、これは透矢と那波の死生観の違いによるものと思われる。那波は死を受 け入れて、ありていに言えば「来世でまた透矢と出会えればいい」と願った。透矢は那波と生きて共にいたいと願った。その二人の願望が、那波に「転生」に近 いほどの変化をもたらしながらも、透矢にはさしたる変化をもたらさなかった原因と思われる。

・花梨シナリオのラスト

 この論点は、大きく二つ。花梨の舞の失敗の原因と、マヨイガにおける那波の射殺。
 まず、花梨の舞が失敗したのは牧野健司の行動の結果である。
 牧野健司はナナミ様=母の復活を夢見ている。そのために必要なのは、まず母のイデア情報を封ずる結界となる、山ノ民隠蔽の事実とナナミ実在の証拠の発見。すなわち論理封印の破壊である。
 牧野健司はそれまでに山ノ民殺戮現場の発掘などといった行動で、論理封印を破壊しにかかっている。過程においてどれだけのことがあったかはともかく、この試みは成功したと見ていいだろう。
 例えば山ノ民殺戮現場において証拠が発掘されたとなると、大和の名による山人の上書きが成立しなくなり「大和」封印が破壊される。また、「宮代」封印も 同様、山ノ民実在>ナナミ実在>御社の意味復活>宮代の意味消失>宮代の代表(宮代の義務遂行者)としての舞い踊る巫女の意味消失>ナナミによる代理化効 力、つまり神の降りた状態とすら言われた花梨のトランス状態の消失>舞の失敗=宮代の「宮の代わり」としての失格>封印破壊、というプロセスで無効化され る。
 その結果が「常世の門は開かれた」。つまりマヨイガ空間への道が解放されたということなのだと考えられる。
 花梨はこの結果、自己の存在意義を失う。花梨は他者からは確固たる認識が行われるものの、花梨自身は他者を拒絶してしまう=必要としなくなることにより、必然として「他者からは花梨が見えるのに、花梨には他者が見えない」状態、つまり昏睡状態となる。
 涙石が作り出すその特殊状態において、花梨が便宜的に案内されるのがマヨイガ空間である。他者は必要としなくとも、花梨は自身を必要としなくなるほど非人間的ではない。花梨に限らず、マヨイガ空間とはそういった状態の人間が自分だけを認識するために存在する空間である。
 ここから花梨を連れ出すために、透矢が迫られることはつまり、マヨイガ空間を作り出す元凶、ナナミの否定。
 透矢には名波としてのイデア情報がある。その情報は透矢の意志力以上に、ナナミにとって強い。名波に不要とされ、別れを告げられることこそがナナミ自身をマヨイガから解放することに繋がるのだ。
 その意志力が弱ければ、もしくは名波としての存在が弱く、説得力が弱ければ、牧野那波はその思念に取り込まれたまま死亡する。和泉の涙石、庄一の梓弓のどちらかが欠ければ那波が死亡するのはそのためである。ナナミから那波を解放してやらねばならないのだ。
 ナナミはいわば亡霊である。亡霊は、救ってやらなければならない。

・雪シナリオのラスト

 雪シナリオは、一般的には「雪自体が透矢の作り出したただの願望、それに引き篭もるエンド」とされることが多いが、この理論では違う解釈となる。
 雪は、山ノ民である。山ノ民は戦時中の工作によって、那波町では本来否定される存在だ。
 雪はそれに対し、透矢の生活の一部として居場所を確保することによって、透矢周辺の人々とコネクションを作り、イデア情報をそこにおいて確定させている。透矢の友人たちも雪にとってはなくてはならない存在とすることによって自己を世界に認識させているのだ。
 だが、透矢と結ばれることによって、そんな雪の存在形態に変化が生じる。
 透矢に受け入れられることによって、雪自身が「透矢以外を必要としなくなってしまった」のだ。
 そうすると、周囲の世界は雪の存在を認めず、雪も透矢以外に対しての自己主張をやめてしまう。その結果、涙石の作用によって「透矢以外の人の認識から山ノ民である雪が排斥されてしまう」のである。
 透矢だけが雪のことを覚えているのに、他の人間が覚えていない、というのは「雪の存在が透矢の妄想だから」ということではなく「雪が透矢だけしか愛して(自己主張して)いないから」ということである。
 この状態になった人間の常として、雪はマヨイガに弾き込まれる。そして透矢が雪を見捨てない場合は、透矢は「雪を否定し続ける現実」より「雪を否定しない現実」を選んでしまっただけのことだ。
 花梨シナリオとの違いは、花梨は「誰にも否定されていなかった」。しかし雪は大日本帝国時代の論理封印によって「那波町全てに否定されていた」ということだけである。
 論理封印をさらに反転させ、山ノ民の存在を大きく世界に知らしめた後に「雪本人の情報を確立させる」。それほどのことをしない限りは二人は那波町に否定 され続けることになるだろう。だが涙石の作用以前の段階から雪への迫害を恐れた瀬能父によって雪の情報的痕跡はほとんど残されていない。他者が雪を求める のはこの時点で不可能に近い。そして二人は互いのことのみを求めているのだから、世界は二人と別のところを回り続けるだけである。

・鈴蘭シナリオ

 ある意味、最高のハッピーエンドをたった一人で勝ち得てしまう最強の結界破壊者が鈴蘭だ。
 このエンドにおいては那波は死なず、雪も世界から否定されない。
 それは鈴蘭がナナミを解放してしまったからだ。
 過去と名波への執着の象徴である髪飾りを、ナナミは捜し求めていた。それが壊れているからと自分のヘアピンで代用してしまう鈴蘭は、つまり「過去を捨て、現在と未来のみのために動く」ということをその行動で示して見せたのである。
 これによってナナミは過去から解放される。ナナミの作用によって力を得ていた涙石はその役目を終え、雪をいくら概念が否定しようとも雪の存在に何ら影響 を及ぼさなくなった。ナナミの亡霊に操られるようにして命を左右されるはずの那波は、もう存在していないナナミによって命を失うこともない。
 無論、不確定存在である透矢でさえ、涙石のない世界では本当に過去を忘れたただの少年に過ぎない。
 あるがまま、ただ自分のできることを、ただ笑顔で実行していくというだけで世界を変えていく。そういう意味で、彼女は「水月」の世界破壊者にして最終解答ではないか、とも思う。

・透矢の役割

 「水月」は透矢が記憶喪失になることによって、初めて物語が動き出す。
 透矢は記憶のある状態においては、本当にただの一学生に過ぎない。那波がナナミと共鳴することによって無意識に透矢に近づいたとしても、透矢に「記憶」という自己を確立するイデア情報がある限り、透矢は名波にはなれないのだから。
 それは別の言い方をすれば、ナナミの存在が強くなり、那波町のあらゆる事象が涙石によって動き出すのは牧野健司のせいでも日本軍のせいでもなく、透矢本人の記憶喪失のせいなのだ、とも言える。
 この不思議な物語にはほとんど無駄がない。庄一でも牧野健司でもなく、全てを動かしたのは透矢、全てに決着をつける力と権利を持つのも透矢しかいない。
 透矢は、あらゆる意味で主人公なのだ。