広辞苑前文方式演習
広辞苑前文方式を使用してみたい人の為の覚え書きです。この文書自体も、広辞苑前文方式で書いてあります。
尚、この文書では、歴史的仮名遣を「正かな」、『現代かなづかい』を「新かな」と呼ぶことにします。又、「AをBの表記で書く」ことを「A⇒B」で表すことにします。
1. 広辞苑前文方式とは
広辞苑前文方式とは、正かなとも、新かなとも取れる文章を書くことです。「つ」「や」「ゆ」「よ」の小書きを認めるやり方と、認めないやり方が有ります。名前の由来は、次の引用文を御覧下さい。
「廣辭苑によれば」で御馴染みの廣辭苑(広辞苑)の、新村出による前文には、正かなと新かなで表記の異る語句が一切使はれてをらず、正かなでも新かなでもない文章になつてゐる。これは、廣辭苑が新字新かなで出版されることになつたことに對する新村の抗議とも言はれてゐる、かどうかは知らない。
この廣辭苑前文のやうに、正かなでも新かなでもないやうに書かれた文章、叉はその書き方のことを「廣辭苑前文方式」と名附く。
例として、正かな派の人が、新かなで書かねばならぬ場面でこれを使用すると、新かなしか解らない人にも普通に読め、書いた本人も「新かなで書いたのではない」と納得できます。
但し、正かなと新かなで異なる表記を有する単語を書けないので、当然その単語でしか表せない思想やニュアンスが抜け落ちることになります。あまりこの方式を多用すると、表現・思考が偏る危険性が有ります。
1.1 正かなと新かなで異なる表記
正かなと新かなで異なる表記
正かな |
新かな |
表記 |
例 |
表記 |
例 |
あ段+う |
行かう |
お段+う |
行こう |
あ段+ふ |
あふひ |
あ段+お |
あおい【葵】 |
はふる |
お段+う |
ほうる |
え段+う |
てうづ |
よ段+う |
ちょうず |
え段+ふ |
けふ |
よ段+う |
きょう |
くわ行 |
まんぐわ |
か行 |
まんが |
は行 |
幸ひ |
わあ行 |
幸い |
思はず |
わあ行 |
思わず |
ぢ |
家ぢゆう |
じ(ぢ) |
家じ(ぢ)ゅう |
まんぢゆう |
じ |
まんじゅう |
づ |
づつ |
ず(づ) |
ず(づ)つ |
づぶとい |
ず |
ずぶとい |
ゐ |
率ゐる |
い |
率いる |
ゑ |
植ゑる |
え |
植える |
を |
をとめ |
お |
おとめ |
- 表記に2つ以上有る場合(「ぢ(じ)」等)は、どれでも良いことを表します。
- 促音「つ」、拗音「や」「ゆ」「よ」には、大書き・小書きの差も有ります。新かなの場合、
なるべく小書きにする
と有るので、大書きで書いても誤りではありません。
2. 基本方針
2.1 同じ単語のまま変形する
- 漢字に逃げる
- 大半の動詞や字音はこれで回避できます。動詞等は漢字で表す方が自然な表記ですが、一部の単語はニュアンスが少し変るか、誤読の危険性が出てきます。
- 例: まはる⇒廻る・回る、かをり⇒香り・薫り、このやうに⇒この様に、お待ちどほ⇒お待ち遠
- 音便に逃げる
- う音便や促音便に逃げます。但し促音便は、「つ」を小書きにしたくない人には向きません(手書きの場合、案外「つ」を大書きにしても誤魔化せます)。
- 例: Aと思ひ⇒Aと思って・Aと思うて
- 省略に逃げる
- 送り仮名を略したり、口語的な省略をしたりする方法で、場合により誤読の危険性が増す、ぞんざいな言葉になる等の短所が有ります。
- 例: 変はる⇒変る、考へ直す⇒考直す、してゐる⇒してる
- 発音表記に逃げる
- カタカナで発音のみを写すと、そこに仮名遣は生まれません。但し、固有名詞や擬態語位にしか使用できず、あまり連発すると間抜けな文章になります。
- 例: ゆわう⇒イオウ【硫黄】、なまづ⇒ナマズ【鯰】、もぢもぢ⇒モジモジ、しやうもない⇒ショウモナイ
2.2 異なる単語に書き直す
このパターンでは、類語辞典が役に立ちます。
- 漢語に逃げる
- 一例として、は行四段動詞は、さ変動詞(漢語+する)に逃げられますが、和語の持つ柔らかさが無くなります。
- 例: 使ふ・用ゐる⇒使用する、幸ひにも⇒幸運にも
- 外来語に逃げる
- 「漢語に逃げる」と大体同じですが、あまりにも多用すると品が無くなります。
- 例: 幸ひにも⇒ラッキーなことに
- 少し異なる表現に逃げる
- 少し廻り諄い表現になることが有ります。
- 例: 嫌ひな⇒嫌な・好きでない、書かう⇒書くことにしよう
- 全く別の語に逃げる
- 当然、元の語の持つ意味から微妙に離れたものになります。
- 例: さういふ⇒そんな・かかる、このやうに⇒こんなふうに、幸ひにも⇒幸せなことに・都合良く、おほきに⇒ありがとさん
3. 演習
私が実際に悩んだ表記から採用したものが多いので、内容にはかなり偏りが有ります。
又、分類は仮のものです。将来は表記を基準に分類する形にするかも知れません。私自身、どう分類すれば一番便利か解らない状態です。
3.1 動詞
3.1.1 動詞の未然形
「動詞の未然形+う」の逃げ方として、「動詞の名詞化+しよう」が有ります。但し、廻り諄くなります。
- 行かう⇒行くことにしよう・行く様にしよう・行く方針にしよう・行動しよう
- 話さう⇒話をしよう
- 頑張らう⇒努力しよう・力を合せよう
- Aしませう⇒Aしませんか・Aして下さい・Aすべきです
- Aでせう⇒Aかも知れない・Aです・Aます・Aではないかと・Aかと・Aの様な感じです・Aとなる見込みです・Aの場合が多い・Aと推測されます
3.1.2 は行四段動詞
は行四段動詞はかなり苦しく、場当たり的に片付けるしか有りません。
- 言ふ⇒喋る・称する・発言する・断言する・見なす
- Aと云ふ⇒Aなる・Aと称される・Aと呼ばれる・Aとして知られた・Aとして有名な・名前がAの
- 思ふ⇒思った・思ってる・思うた・思案する・考慮する・理解する・推察する・察する・気がする
- Aと思ふ・Aと思つた⇒Aではないかと・Aかと
- Aと思はなかつた⇒Aとは
- 思はずAした⇒Aしてしまった・計らずもAした・昂奮してAした・体が勝手にAした
- Aしてしまふ⇒Aしてしまった・Aせざるを得ない・Aするしかない
- 酔ふ⇒酒気を帯びる・泥酔する・酔痴れる・酔潰れる・酔っ払った状態になる・酒に呑まれる
- 間違ふ・間違へる⇒誤る・やり逃す・失敗する・混同する
- 誘へ⇒誘ってくれ・勧誘しろ・一緒に行動しよう
- 会ふ⇒出会す・顔を合せる
- Aに気を遣ふ⇒Aの様子を察する・Aの空気を読む・Aに配慮する
- 御願ひします⇒(して)下さい
- 御願ひですから⇒頼みますから
- 笑ふ⇒噴き出す・微笑む
- 貰ふ⇒戴く・頂戴する
- Aしてもらふ⇒Aしていただく・Aしてくださる
3.1.3 「ゐ」「ゑ」「を」を含む動詞
「ゐ」「ゑ」「を」を含む動詞はそう多くないのですが、「ゐる」が頻出するので困るところです。
- Aしてゐる⇒Aする・Aしてる・A'(名詞化)の最中だ・A'(名詞化)中だ・Aし続ける・Aしてある
- 率ゐる⇒連れ添って行く・引っ張る・引率する
- 用ゐる・使ふ⇒使用する・使って(〜する)
- 植ゑる⇒植うる・植林する・活ける
- 餓ゑる⇒饑餓に喘ぐ
- 据ゑる⇒取り付ける・落ち着ける
3.1.4 その他の動詞
その他の動詞も、結構難儀です。
- 合はせる⇒合せる・合す
- 変はる⇒変る・変化する
- 終はる⇒終る・終熄する
- いぢける⇒拗ねる・ちぢこまる・捻くれる
- 置き換へる⇒置換する
- 答へる⇒回答(解答)する・答を出す
- 風邪をこぢらせる⇒風邪をこじらせる・風邪を拗らせる・風邪を引く
- 話がこぢれる⇒話がこじれる・話が拗れる・話がややこしくなる
- 閉ぢる⇒閉ざす・止める・閉める・閉合せる
- 恥ぢる⇒恥入る・恥を知る・恥しがる
- やつつける⇒やっつける・片付ける
- 言ひ換へれば・逆に言へば⇒換言せば・即ち
- 困つた⇒困った・悩んだ
- 思ひつく⇒聯想する・閃く
- 教へる⇒指導する・指南する・知らせる
3.2 名詞
3.2.1 一般名詞・固有名詞
異なる単語に書き直すことが殆どです。固有名詞は大体カタカナか漢字に逃げることになります。
- 美味しさう⇒美味しさを期待できる・見た目が美味しい・美味しく見える・不味くは見えない・不味い筈が無い
- いづれ⇒いづれ・何れ・どれ・何・いつか
- Aくらゐ⇒A位、大体A、約A
- Aのせゐ⇒Aの所為、Aが原因
- 自づから⇒自から・自ら・自然と
- けぢめ⇒区切り・片・別(め)・分別
- なめくぢ⇒蛞蝓・ナメクジ
3.2.2 は行四段動詞の連体形
は行四段動詞の連体形と見なせる名詞の場合、送り仮名を省略できる場合は良いのですが、大半の場合は読み難くなるので、他の単語に置換することになります。
- 先払ひ⇒先払・プリペイド
- 違ひ⇒差・差異
- 間違ひ・間違へ⇒誤り・ミス
- 酔つぱらひ⇒酔った人・酔潰れ・酔人・酔客・泥酔者・泥酔した人・泥酔状態の人・酒気を帯びた人
3.3 形容詞
これも、異なる単語に書き直すことが殆どです。
- いぢらしい⇒愛らしい・える
- 恥づかしい⇒恥しい・面目ない・照れ臭い
- 間違ひ無い⇒相違無い
- まづい⇒不味い・具合が悪い
- 安つぽい⇒安っぽい・品が無い・下品だ
- ゑぐい⇒刳い・気持ち悪い・気色悪い・残酷だ・グロテスクだ・生生しい
をかしい⇒変
3.4 副詞・その他の品詞
これまた、異なる単語に書き直すことが殆どです。
- かうして⇒斯うして・この様に・こんなふうに・こんな感じで
- さうか⇒左様か・さよか・そっか
- さうして⇒其うして・その様に・そんなふうに・そんな感じで
- さうですか⇒左様で(ございま)すか
- 幸ひだ⇒幸せだ・ラッキーだ・幸福だ・僥倖だ・嬉しい・喜ばしい・幸運だ
- まづ⇒始めに・最初に・先に・取敢ず
- づつ⇒づつ・ごと・毎
3.5 字音
漢語(字音)の場合は、漢字表記すれば逃げられますし、その方が自然な場合が多いのですが、一部、和語同然の字音でニュアンスが変るのが嫌な場合、別の語に逃げなければなりません。
- このやうに⇒この様に・こんなふうに・かくして・かかるごとく・この方式で
- しやうがない⇒仕様がない・仕方ない
3.6 挨拶・その他
挨拶や方言にも結構な数が有ります。これまた場当たり的に行くしか有りません。
3.6.1 挨拶
- ありがたう⇒有難う・ありがと・ありがたい・ありがてえ・ありがとさん・勿体無い・感謝する
- おはやう⇒お早う
- お待ちどほ⇒お待ち遠・お待たせ
- おめでたう⇒(お)めでたい・(お)めでてえ・御目出度う・嬉しいことだ・喜ばしい
- さやうなら・それぢやあね⇒それでは・またね
- 宜しく御願ひします⇒宜しく御頼み申し上げます
3.6.2 方言・その他
- 何ちふことを⇒何てことを・何すんねん
- おほきに⇒ありがとさん・毎度
- かなはん⇒かなん・迷惑な
- 起きようにも起きやうが無い⇒起きようにも起きられない
非常に疲れました。自分で纏めておいてなんですが、こんな廻り諄いことをする位なら、素直にどちらかの仮名遣で書く方がよほど楽です。
私なりの結論: 遊びの内は良いが、常用するのには労力が大きい。その分、内容を充実させた方がマシ。
参考文献